おはようございます。あずき (@azucky824 )です。
3月11日、昨日であの大震災から3年になります。この3年間みなさんはどう過ごしてきたのでしょうか。
知らない方がとても多いですが、実は僕の実家もある千葉県も被災しているんです。
今日は少し当時のことも思い出しながら書いてみたいと思います。
地震当時
2011年当時、まだ僕は前職の住宅営業をしていました。その日はすでに着工済みの現場で、お施主さんに報告するために様子を見に行ったんです。
基礎の打設が終わり、ちょうど足場を組み上げたところだったので、上に登って写真を撮ってる時に「グラっ!!」すげー揺れてびっくりした記憶があります。幸い、震源地からはかなり離れていたので大事には至りませんでしたが、その後のニュースが凄かった。
あんなの見たことないもの。デイアフタートゥモローばりの映画でも見てるんじゃないかと。車がバッシャバッシャ流されて、人の姿が見えない。普段他人事には鈍い僕も戦慄しました。
その後、電話が使えなくなったので、自分のお客さんの各現場をまわり現状確認、そのままの足でお客さんへ報告。僕の担当現場では特に問題はありませんでしたが、とにかくバタバタしてたなぁ。
実家の千葉も被災
発生から数時間たち、仕事も落ち着いて会社に戻ってTVをみている社員に混ざると、あいかわらずの惨状。そのあとに、津波の地域を確認するとなんと、千葉県にもきてるじゃないですか。
しかも僕の実家ドンピシャ。
急いで家族へ電話する。つながらない。
地元の友達に連絡する、つながらない、つながらない。
翌日
日付が変わって12日。上京してる友達から連絡が来る。「うちらの地元やばいかも」。
YouTubeだかニコニコだか忘れたけれど、動画が上がってるというのだ。
いや、これね。僕の知ってる街で知ってる道なんですよ?信じられる?
懐かしい方言。景色。どこをどう見ても地元。もはや言葉が出なかった。それから食い入るようにTVを見るけれど、宮城や岩手や福島など東北の話題ばかり。
こんなに近いのに分からないなんて。頼むから、数秒でいいから、ちょっとだけ映してくれよと何度となく思った。
3日目
結局、地震から3日目にようやく家族と連絡が取れた。家の目の前まで津波がきて、小学校まで避難してきたそうだ。ホッとしたと同時に、無力感に打ちひしがれる。
自分の知っている人のためにすら、僕は何もできなかった。できることがなかった。
三ヶ月後に帰省
建築業界はあの時期、死ぬほど忙しかった。不安にかられた人々の住宅需要が激増したから。
帰りたいと思いながらも、単休すらもらえずようやく帰れたのは6月。三ヶ月もたつのに、もう泣きたくなるくらい悲惨で。そりゃあもちろん東北とは比べものにはならないのだろうけど、自分の生まれた街、自分の育ってきた所が見たことない姿になってるのはキツイです。
当時撮った写真があります。お時間のある方は是非見てやってください。↓↓
Flickr
こんなサイトもありました。
旭市の被災状況/千葉県
あと、こちらの動画も悲惨さがよくわかります。
ここなんか、本当によく通る道や場所なのに、、、。
「震災を忘れない」なんてクソくらえだ
ここ数日よくきくワード「あの出来事を忘れない」。個人的にはあまり好きではありません。
犠牲になった人たちのことを忘れない?怖かったことを忘れない?寒い中家に帰れなかった方々のことを忘れない?
忘れないからなんなんだと。
自分自身、阪神大震災の時に思った。「この出来事は絶対に忘れないようにしよう」
だけど、それだけじゃ何の意味もない。現実感ないじゃないか。実際、阪神大震災と東日本大震災、なにも出来ることは変わっていないじゃないか。
具体的な行動にまで落とし込まなきゃならないんだ。
家に災害備蓄品用意しましたか?いざという時のために家族での連絡手段決めましたか?仕事先から歩いて帰るために、一度歩いてみましたか?
無力感を感じた人は、次にこういうことが起こったときになにか出来ることがみつかりましたか?
リアルな現実として捉えるために、被災地を実際に見てみましたか?
「忘れない」ということは、そこまでやらないといけないことなのだと僕は思うのです。
まとめ
薄々予想はしていましたが、まぁまぁな分量になりました (汗)
震災で感じた無力感は、今僕の勉強の原動力になっています。
たしかに悲しい出来事だけれど、悲しみ一色に染まる必要はないと思うし、みんな少しだけの出来ることから始めればいいと思う。出来ることがないなら、今からでも作ればいい。
少なくとも、僕はそういう生き方でありたい!
そんなことを思った昨日でした。
では、あずき (@azucky824 )でした!
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