[αź]「肌で感じる」「見取り稽古」ってやはり偉大だった話し。

こんばんは。あずき (@azucky824です。

僕は現在、トレーナーの仕事をしながら理学療法士になるため、夜間は学校へ通っています。そんな僕ですが、先日新しい仕事をはじめました。

トレーナー業も続けながらではありますが、リハビリテーションの病院へ務めることにしたんです。今日はそこで学んだ実感のお話。

もともとは実習対策の腹積もりだった

僕は学生になって、今年で3年生にあがります。なにげに実習がどんどん増えてくる時期になってまして、そこでの出来具合がかなり将来を左右する大事な関門となってきます。

最初は、病院での仕事というものに免疫をつけておこう!と思って、学校に来ている求人を中心に探してみたわけです。

自分の将来像が描ける

実際に勤めてみると、一番いいなーと思ったのは、今まで漠然としていた「資格をとった後の自分」を明確に描けるようになったこと。

僕の目指している「理学療法士」という職業の方々を身近で見て、話して、一緒に考えたりしてくれる。

当初僕自身が思っていた以上に、「身になる」現場だなという印象を持ちました。

見て、感じて、そして考えて。

理学療法士って、人間の「動き」のプロだと僕は認識していて、目の前の人の動きや姿勢や状態を見て、そこから色んなことを推測していく仕事なんですよね。もちろん、そこには医学的な根拠(エビデンスとかっていいます)があって、経験則もそこに加わるんだろうけど、いかにその引き出しが、パターンがたくさんあるかっていうのが重要なんじゃないかって最近は考えているんです。

実際の現場では、言葉でおそわれることって凄く少ない!と初日に感じました。

「なぜその姿勢をみて違和感を感じたのか」「なぜその動きが異常だと感じたのか」

これは実際に見て、頭のなかに沢山ストックしていけば分かるものなのだと短答の先生は仰っていましたが、半信半疑ながらも「この方法しかない」よなと思う自分もいます。

「考え抜いたこと」しか武器にはなってくれない

転職してからというもの。今まで、浅い所しかわかっていなかった所が、どんどんどんどんと深いところの知識まで駆りだされているような日々を送っていますが、1つ分かったというか、悟ったことがあります。

それは、「中途半端にやってきたことはなんの役にも立たない」ということ。それが良いことであれ、悪いことであれ、とにかく「やりぬいたこと」がどれだけ自分の糧となるか。

話のネタにもなるだろうし、自信にもなるだろうし、きっと自分の道を探す手がかりになってくれると思うんですよ。

そういう意味では、今目の前にある仕事や趣味や恋愛、そのひとつひとつにもっと一生懸命になって考えぬいてもいいかなという思いがふつふつと湧いてきています。

△最近こんな本も読んだのですが、やはり自分の方法をもつって言うのは大事なんだなーと強く感じました。自分の方法っていうのは生まれつきあるわけじゃなくて、日々の出来事をよーく考えぬいた先に出てくるものなんじゃないかとも。

興味があれば読んでみることをオススメします。個人的には結構面白かったです。

今日はこのへんで!あずき (@azucky824でしたー。

この記事を書いた人

azucky824

1987年生まれ ゆとり第一世代。実家は千葉で代々漁師の家系。
大学で上京し、住宅営業マンを経て現在は理学療法士を目指して専門学校生。
好きなものを語る場としてこのブログを管理・運営してます。