[αź]【33】幸せの定義とも繋がる!?リハビリって目的は人それぞれなんだなぁと感じた話し #七ブ侍 #月曜日

こんばんは!七人のブログ侍というブロガー企画で月曜日を担当しています。あずき (@azucky824です。

僕は現在、昼間に働きながら理学療法士という資格を目指して学校へ通っています。現在実習中で精神的にも肉体的にも結構バタバタしていて、勉強って大変だなぁと思う日々です。

実習といえでおも、現場に出てみて色々な考え方があることに気付かされます。日々の思い込みとか、自分の浅はかさなんてものに愕然とし、非常に学びの多い毎日です。

今日はリハビリというものと、患者さん一人ひとりの生活について思う所があったので、出来る限り、言葉の限りまとめてみようと思います。

七人のブログ侍とは?

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「七人のブログ侍」とは、七人のブロガーが担当曜日を決め、日替わりで更新していくリレー企画です。

メンバーそれぞれ、持ち味を発揮して、読者さんを巻き込みながら楽しみたいと思ってますので、色んな方の記事を読んでみてくださいね!記事末にはまとめサイトもご紹介しています。

「歩けるようになること」が幸せだとは限らない

今回、実習という形で現場におじゃまして色々な患者さん・理学療法士さん、お医者さん、他の職員さんともお話をさせて頂いて、気付かされたことがあります。

それは「歩けるようになることが幸せだとは限らない」ということです。

僕は、どんな人でも完治すること、元通りに健常になることが「幸せ」につながると思っていました。いや、信じていたかったのかもしれません。

初めて出た臨床では、もう「絶対に健常には歩けるようにならない人」が何人もいらっしゃいました。じゃあその人達は「幸せを諦めなければならないのか」って言ったら、絶対に違うわけで。

仮に、ものすごく努力すれば歩けるようになるとして、その努力を80代のご老人に強いることが僕の使命なのか?って考えると、どうにも言葉にならない違和感を覚えます。

努力すること、は間違いなく尊い。でも苦しい思いをしてまで、そういう努力の仕方をしてまで手に入れるべきことなのかって。幸せには色んな形があって、歩けなくても、車いすでだって素敵な景色に出会えるはずだし、色んな人と出会って話しは出来るはずなんですよ。

何をもって幸せなのか?って問いにつながってくるんだけど、20代には20代なりの。高齢者には高齢者なりの、そして歩けない人には歩けない人なりの幸せが絶対にあるはずなんです。

そしてそれは、「歩ける人の幸せ>歩けない人の幸せ」って数式なわけがない。大小、勝ち負け、優劣がつけられる類のものじゃないんだ絶対に。

理学療法士を目指す身として、僕の使命は色んな人の様々な形した「幸せ」ってものを、少しでも現実にするために力を貸して差し上げることなんじゃないだろうかって。もしその幸せの形を見つけられてない人がいるなら、それを探すところから一緒に苦しむべきなんじゃないかって思ったんです。

「段差をなくすこと」は果たしてベストなんだろうか?

もう1つ。前職の住宅営業時代から考え続けていることがあって。建物を建てる時、段差をなくしてフラットにするのが果たしてベストな選択なんだろうかってこと。

前職で住宅にエレベーターを付けたいってご家族がいて、それは高齢のお母様のためだったんだけれど、その当人とお話をしたとき、「エレベーターをつけるって言ってるけど、なんか『面倒見たくないから、一人だけで、自分の力だけで生活してくれ』って言われているような気になる」と仰っていて、それが今でもずっとアタマに残っているんです。

正直、仕事がリハビリ関係になってから、人間は一人じゃ生きていけないなって感じることがたくさんありました。それは、物理的にもそうだし、精神的にもそうなんです。

たとえ一人ぐらしでも、近くに家族が住んでるってだけで健康を維持できる人もいるし、子供と仲が悪くなったことを20年ちかく悩んでいる方もいらっしゃいました。

僕は「物理的な段差をなくすこと」よりも一人ひとりの希望だとか絆だとか、優しさだとか思いやりだとか、そういうもんだと思うんです。

「ココロのバリアフリー」なんて言葉もあるけれど、物理的な段差は人間の優しさで簡単に埋めることが出来るんです。埋めるのは家族だっていいし、赤の他人だっていいし、僕ら仕事をしている人間だっていいわけで、ちょっとだけそういった、色んな意味での段差についてアンテナをはって欲しいんです。

段差をなくしたから、楽にしたから、じゃあ「ひとりでできるよね?」ってことじゃあないんだと思うんです。

難しいことは一緒にやりましょう。出来ないことは手伝いましょう。それでもダメなら道具や環境を工夫しましょう。人によってベストな状態・選択は違うから、やっぱりちゃんと考えて欲しい。

考える手伝いを出来る人間はこの世の中たくさんいます。ケアマネさんとか、設計士さんとか、理学療法士とか、お医者さんとか。もっともっと人に頼って良いと思うし、少なくとも僕はそういう話が出来る人間でありたいと思っています。

リハビリの目的は1000人いたら1000通りあってもいい

今までずっと僕は、ある程度「型にはめる」ことが必要なのかなと思っていました。その目的に対して一生懸命に努力することが大事だと思い込んでいました。

でも、努力はもちろん大事なんだけど、苦労する分のリターンがあるのかって話になると難しくて。それがその人の幸せかっていうとやっぱり謎なんですよね。

幸せの形が人の数だけあるのならば、リハビリテーションの目的や目標だって人の数だけあるんだと思うんです。

それをいかにパターン化せずに、一人ひとりに向き合えるかっていうのがきっと僕達医療職の目指す課題なんだろうし、とことんそこにつきあえるのが理想像なんだろうなと感じています。実習ももうちょっと期間残ってますので、とことん考えてみようと思っています。

あとがき

今回はまだまだ言葉にしきれていない部分があるなぁと読み返して感じました。想いのちからもまだ足りないし、言葉の力も足りていません。

もっともっと悩んで、もがいて、考え抜きたい課題だなぁと切に思っています。みなさんもちょっとでもいいので考えてみませんか?身近な方のリハビリ、目的はなんでしょう?目指すところはどこでしょう?それはその方本人の幸せなんでしょうか?

ちょっとでも皆さんの考えるタネに慣れば幸いです。

さて、明日は火曜日担当、むーろぐのひろむ君(@mwwx)です。お楽しみに!

ちなみに、七人のブログ侍NAVERまとめできました。読み逃した方は是非御覧ください!↓

あずき (@azucky824でしたー。

この記事を書いた人

azucky824

1987年生まれ ゆとり第一世代。実家は千葉で代々漁師の家系。
大学で上京し、住宅営業マンを経て現在は理学療法士を目指して専門学校生。
好きなものを語る場としてこのブログを管理・運営してます。