[αź]【コーチング後記】過去はすべからく今日のためにあるのだ!

こんにちは。あずき (@azucky824 )です。

先日、コーチングを受けさせてもらいました。こんな感じ↓
[αź]頭の中、超絶スッキリ!初めて「コーチング」というものを受けてみたよ! | azucky_Log

その中で初めて見えてきた、気づいた、僕自身の考え方があって。少しずつだけど言葉としてまとめたいと思います。

「過去」というもの

今回自分の中にある考え方や感じ方を言葉にしてみて、自身、一番驚いたことは過去への概念でした。

僕にとって、過去というのは「教訓」であり、これからの行動を決める大事な「データ」なのでした。

つまり、ただの「思い出」の集合体じゃなくて、悪いことも良いことも、なにかしら「今」につながるものであって欲しい。それが経験や、後悔や、教訓になるまで整理しておきたいのです。

以前、アーチェリー銀メダリストの山本選手が、「最近の子供達は、試合が終わった後に泣けるくらいに自分自身を追い詰める作業をしない」と、おっしゃっていました。

実際に、競技をある程度のレベルでやった方ならわかると思うのですが、勝っても、負けても「泣ける」というのはなかなか出来るものじゃない。日々の練習や努力に、思いや気持ちを載せて載せて、必死で積み上げていかないとできないことです。

逆に、そこまで自分の気持ちを積んでいかないと、終わった後「死にたくなるほどの後悔」とか「鳥肌が出るほどの嬉しさ」は味わえないし、「次はこうするんだ!」って強い意志には繋がってこないように思います。

前向きな過去

まぁ結局、練習は結果が伴わずとも自分自身のためなんだと、そう思っているわけです。これが中途半端な状態だったら、それこそ結果しか判断材料がない。イイことはひとつもないのかもしれないなぁと。

そして、そういう努力をしていれば、試合の時・勝負の時に迷いがないよなと。少なくとも僕はそうしないと不安でたまりませんでした。これ、最近読んでる「3月のライオン」という漫画でもドンピシャなセリフと描写があります。機会があれば読んでみて下さい。

なので、僕が過去を「振り返る」ということは「参照する」という感覚です。

今やってることが正しいのか、あとあとで納得出来るのか。そして、そうして積み上げたものに気持ちを更に積んで、「迷いのない」自分の状態をつくります。その「今」・「今日」のための過去でありたいと考えています。

まとめ

うまくまとまらず、長文になってしまいました、、、。こういう、普段考えていることとか、感情をメインにした文章はなかなか綺麗にはいきませんね。難しい。

各人それぞれの過去の捉え方、使い方、活かし方があるかと思いますが、なにかしらでご理解頂ける部分があれば幸いです。そして他の方の話も聞いてみたいとも強く思いました。

では今日はこの辺で!あずき (@azucky824 )でした!

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この記事を書いた人

azucky824

1987年生まれ ゆとり第一世代。実家は千葉で代々漁師の家系。
大学で上京し、住宅営業マンを経て現在は理学療法士を目指して専門学校生。
好きなものを語る場としてこのブログを管理・運営してます。